双対認識とは

「じゃあ、教えてくれないかな。

この宇宙は、いったい、何で出来ているのかな。」

老物理学者は訊いた。

少年は、明るく微笑した。

そして、言った。

「この宇宙はね、羊と、羊じゃないものから出来ているんだよ。」

『羊の宇宙』 夢枕獏著

双対認識について

「自」と「他」をそれよりも高い抽象度から見てみると、実は同じものだということがわかります。

時間軸よりも高い抽象度で観れば、「過去」と「未来」も同じもの、

「ワガママ」と「博愛」もまた、同じものなのです。

心の問題というのは、問題と定義したものだけについて考察し、

それ以外のものを認識から外してしまうことが原因で起こっています。

しかしそれでは物事の本質はけして観えてはきません。

『自分』と『自分でないもの』は、実は常に双対(そうつい)関係を成しているのです。

私の元を訪れるクライアントたちは最初、自分をパズルの1ピースだと定義しています。

しかし言語と非言語の介入的アプローチによって双対認識を起こさせると、

今まで意識に上っていなかったあらゆるものが目の前に現れ、

渇望していたものは、疑いもないほどに最初からその手の中にあったのだと悟るのです。

そう、

あなたはパズルの1ピースではなく、

最後のピースを待っている全体の方だったのです。

釈迦の説いた『空』と『縁起』もまた双対関係にあるという視点で観れば、

私たちは空なる存在であると同時に、縁起のすべてでもあるということがわかります。

他人だと思っていたものが実は自分で、

自分だと思っていたものは宇宙そのものなのです。

誰かと心を繋ぐために発していた言葉は、

縁起のすべてであり、

すべてであるならば、

すべてを繋げているそれは愛でしかない。

それが双対認識から導き出される大いなる悟り。

言葉は神

であるならば、

言葉は愛を伝えるためにだけ存在している。

言葉はあなたから生まれたもの。

神は、

あなたは、

愛でなかったことなど、生まれてから一度もないのです。